令和を生きる私が学ぶ江戸時代

本サイトの趣旨
私は齢22歳にしてようやく、未来の日本を考え政治に興味をもち勉強し始めた。
今ある憲法や法律をどのように変え、よりよい未来を築くにはどのような法が必要なのだろうか。
多数の政治家の意見を聞き、政治を勉強する中で私は疑問に思うことがある。
時代が変わることにより、新しく必要となる法律は当然ある。
しかしその法律を導入することによりどのような懸念点があるのであろうか。なぜ今までの法律では
そう規定していたのだろうか。何の妥当性を検討することなく新たな法律を導入することは過去に冒した過ちを繰り返すことになるのではないだろうか。私は歴史を知ることでより今の政治を理解できるということに今更気づいたのだ。
賢者は歴史に学び 愚者は経験に学ぶ。かつてビスマルクはこう言ったそうだ。
そこで本サイトでは今の政治を知る為のツールとして、江戸時代を学んでいこうと考える。

江戸時代の始まり
教科書によると、1600年に天下分け目の戦いといわれる関ケ原の戦いに勝利した徳川家康が1603年に
征夷大将軍として認定され江戸幕府を開いたとされています。

16世紀後半、全国統一した豊臣秀吉に変わり徳川家康が将軍になれた主な理由は3つある。

一つは、豊臣秀吉が自身の死後の政治は五大老による合議としようとしていたが、その政治基盤が確立していなかったことが挙げられる。そのため豊臣秀吉の死後、まだ幼かった秀吉の子である秀頼は
五大老の中でも有力な徳川家康によって摂政政治のようになってしまった。
二つ目の理由として、豊臣秀吉が大きな領土を徳川家康に与えてしまったことが挙げられる。
五大老の中でも特に有力であった徳川家康をできるだけ京都から離そうと考えた豊臣秀吉は、
当時沼地で開拓もままならない関東に徳川家康を配置する為の見返りとして膨大な土地を与えたのだ。
豊臣秀吉の直轄地である蔵入地が220万石で、徳川家康の直轄地が250万石であることからも膨大な土地であることがわかる。
三つ目の理由として、徳川家康が朝鮮出兵しなかったことも江戸時代がはじまった理由である。
前述の通り、膨大な土地の管理、運営を任された徳川家康がその二年後に朝鮮に赴くことは難しく、
莫大な財政基盤を持ち続けられたことが徳川家康が覇権を握る理由である。



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